第48回2007年 国際数学オリンピック(IMO)ベトナム大会


◆参加報告

  第48回国際数学オリンピック(International Mathematical Olympiad = IMO)は 7月23日から 31日までベトナムのハノイで開催された。
  参加各国の団長達は一足早く7月19日にベトナム入りして大会の準備に務めた。 23日には選手団が次々と到着、翌24日に開会式が行われた。 入場行進の折、日本選手6名は、忍者姿で手裏剣を投げるパフォーマンスを行った。
  コンテストは25日、26日に開会式と同じハノイの国立会議場で行われた。 天候にも恵まれ、コンテスト後は、選手たちは観光の中で国際交流に努めた。 日本選手はみんな精一杯頑張り、総合成績は過去最高位の6位、個人は金メダル2、銀メダル4であった。

(参加者の写真はこちら
(詳しい国際順位はこちら


日本代表選手の成績
メダル 氏 名 学 校 名 学年
片岡 俊基 三重県高田高等学校 高3
副島  真 筑波大学附属駒場高等学校 高1
 関   典史 灘高等学校 高2
井上 卓也 大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎 高3
吉田 雄紀 灘高等学校 高3
滝聞 太基 筑波大学附属駒場高等学校 高1


◆選手達の声

金メダリスト  片岡 俊基
@ベトナム(ハノイ)の印象
  バイク多いです。レースしています。信号は残り秒数が表示されるレース仕様です。 「炎・天・下〜」お釣りを食べることができます。 漢字を期待したのは間違い。 ローマ字的なものしかない。 2RD,INTTERNATIONNALとかスペルミスあり。
A宿舎・ガイドについて
  参加した大会の中で最も良い宿舎に思える(ギリシャとは良い勝負)。 ガイドさんは、日本語が良くできる。 もしかしたら日本選手の誰かより良くできる。 いろいろ気を配り面倒を見てくれたいい人。
Bコンテストについて
  今年は去年より落ち着いて解けたと思う。 多少運も良かった。 しかし、Cが得意を自称していて3,6が解けなかったのは残念。
C外国選手との交流について
  多くの国の選手とメールアドレスを交換した。 IMOが終わった後も話ができるのは楽しい。 今年も共円を広めた。 数学的なものに自分たち同様に興味を示すのはただの国際交流でなくIMOなのだと実感する。
D観光での印象
  バスの時間が長い、でもバスの中は楽しかった。 外国人はみんな歌が上手い。 デング熱に注意をしなくてはいけない場所がたくさんあった。
E全体の感想
  日本代表としての責任は、コンテストでも交流でも果たせたと思います。

金メダリスト  副島 真
@ベトナム(ハノイ)の印象
  バイクが多かった。 2台の車が近づくと、後ろの車がクラクションを鳴らして、前の車を抜いていた(日本より簡単にクラクションを鳴らす)。 バスは強いので、バイクや一般車に近づくと全て抜いた。
A宿舎について
  部屋に鍵がついていた。 左に2回転でしめて、右に2回転でドアを開けられた。 部屋に鍵を忘れると、ホテルの人が掃除のときに鍵を閉めてしまって、部屋に入れなくなった。
Bコンテストについて
  1,2,4,5の4完、今年の3,6は、かなり難しいと思います。 国としては、ロシアの1位、ベトナム、ブルガリアの復活など。 個人的には金メダルがとれてよかったです。
C外国選手との交流について
  体力が無いので、スポーツをして外国選手と交流することはできなかったが、その間に部屋にいるときに、たまに外国人が来た。 また、スリランカ、バングラデシュ、ポルトガルの選手に共円を広めた。
D観光での印象
  3日間あった。バスでの移動距離が長かった。

銀メダリスト  関  典史
  7月23日、僕は不安と期待の入り混じった気持ちで第48回IMOベトナム大会への出発を迎えた。 5時間のフライトを終えてハノイ到着。 やはり聞いていたとおり蒸し暑い。 バスで宿舎へ移動。 ベトナムの道では多くのバイクが猛スピードでフェルナンド・アロンソもびっくりのレースを行っている。 もちろん僕らの乗ったバスもレースに参戦した。 ちなみに結果は、そこそこであった。
  宿舎は、かなり快適で天井のファンがピンチであること以外は問題なかった。 食事もいつもおいしいものが出ていて良かった。 そして部屋の掃除やベッドメイクをしてくれ、また吉田君の救出すらしてくれたIMOおばさんには感謝しても仕切れない。
  試験は、25日、26日の2日間で、1日目の試験が始まるまでは結構緊張していた。 結果は、1日目2完、2日目1完半で26点を取り銀メダルだった。 5番を解ききりたかったという気持ちはあるが優秀なコーディネーターの粘りのおかげもあって国際順位UPに少しは貢献できたのでよかったと思う。
  さて、試験が終わると交流と観光が待っている。 交流は最高に楽しかった。 英語1つでこんなに多くの国の人たちと話せるということに感動した。 観光のバスが一緒だったこともあって、僕はブラジルの6人と友達になった。 みんな陽気でいい奴だった。 ブラジルのプ○○○○○をくれるという嬉しいサプライズもあったりした。 ブラジル以外にもUK、イタリア、パラグアイ、プエルトルコ、韓国、バングラディシュなどなど多くの国の多くの人と話したり、バレーボールやサッカーをしたりして本当に最高の経験ができたと思う。 観光は、Ha Long Bay を始めいろいろ行けて楽しかったが移動が長いときも結構あったので、もう少し観光を減らし交流する時間を増やしてほしかった。
  30日には閉会式とパーティーがあり、仲良くなった人たちと言葉を交わしたりメールアドレスを聞いたりした。 もうこれでIMOも終わりかと思うと感傷的な気分になった。
  また、日本チームのガイドさんは本当にいい人だった。 日本語が堪能で何を聞いても丁寧に教えてくれたし、アルバムもプレゼントしてくれた。 本当に感謝しています。
  IMOベトナム大会は、最高の9日間だった。 ブラジルの友達に日本のプ○○○○○をあげるためにも来年もぜひ参加したい。 最後になったがIMOベトナム大会を支えてくださったスタッフの方々に心より感謝したい。 本当に有難うございました。

銀メダリスト  井上 卓也
  今回は、初めての海外旅行であり、行く前は期待と不安が半々の複雑な気持ちであった。 特にベトナムは水とデングと交通事故のことを聞いており、心配の種はいくらでもあった。 しかしそんな不安は、飛行機を降りてハノイの地に着いたときからどこかに吹っ飛んでしまった。 それほど今回のIMOは充実しすぎていたのだ。 ハノイの『炎天下』のように暑く、ハノイのバイクレースのようにあっという間に10日間が過ぎていった。 まずガイドさんの日本語が堪能だったことと宿舎が快適なのが幸いであった。 おかげで体の弱い自分でも健康に過ごすことができた。
  また、心配の種の1つであったコンテストも1日目に2完できたのがよく銀メダルを取ることができ嬉しい。 おまけに日本チームも過去最高の6位を取れたのは自分にとって本当に光栄である。
  今年は観光が非常に長く、かなり疲れたが、行きたかったハロン湾にいけてとても良かった。 あの緑の美しさは、三重に勝っていると僕は思う。 一方国際交流の時間は少なかったが、その分一瞬一瞬を大切にしたのでかなり多くの国の人と話したり、スポーツしたり、お土産を交換できて、本当に貴重な時間をすごせたと思う。
  IMOはコンテスト、国際交流、観光を全て経験できる最高の大会だと僕は思う。 そして、この素晴らしきIMOを支えてくださった財団関係者やオブザーバーの方々、本当に有難うございました。

銀メダリスト  吉田 雄紀
  今回のIMOは、ベトナムでの開催ということで、発展途上国の印象があって大変なイメージを持っていたのですが、大会の期間中、特に大変な思いをすることなく過ごすことができました。 とかいいつつ、やはりベトナムの町の様子は日本と違っています。 特筆すべきは、とにかくバイクが多いことです。 信号待ちの間に僕たちの乗るバスは、無数のバイクに完全に取り囲まれてしまいます。 信号が青になると、バイクたちはクラクションを鳴らし放題で通りを走り回り、まるでレースのようなのですが、僕たちのバスも負けずにクラクションとライトの点滅で周囲を威嚇していて見ものでした。 そんなわけで、町はうるさく空気は汚かったのですが、宿舎のホテルは、敷地が広く町なかにあるにもかかわらず静かでした。
  観光は、まあ楽しかったです。 ハロン湾の船の上は、涼しくて心地良いです。 今回の旅行で気温が快適だった場所は、宿泊部屋と食堂とフロントと試験会場と海上だけで、他の場所は暑すぎて容易には耐えられません。 試験は、自分の出来に関しては、去年から何も進歩できていないような結果となってしまい悔しいのですが、日本の順位が上がったことは微笑ましいことだと思います。
  試験で後悔した分、国際交流で頑張りました。 様々な国の人とお土産交換はもちろん、一緒にスポーツをしたり共円をしたりしました。 今年は、ポルトガル、スリランカ、ブラジルなどの国々に共円を教え、一層共円が世界に広まりました。 スリランカの人は日本のことを聞いてくるとともに、スリランカについて何か知っているかと聞いてきたのが印象的でした。 また「共円」などの基本的なシンハラ語(スリランカの言語の1つ)を学びました。 また、去年共円を教えたバングラデシュの人が今年も来ていて、再会できたのがとても嬉しかったです。 さらに、その友人のバングラデシュ人は、歌がとても上手いのか、声が面白いのか分からない人ですが、とにかく面白い感じの人でした。
  閉会式の後で、マカオのMiss IMOと写真を撮ったのも忘れられません。 他にも様々な人と交流しました。 他の日本選手とも上手くやっていくことができました。 時には皆に助けられたり、触発されたりして外国の選手と交流したこともありました。 奇声を上げる雰囲気も好きで、楽しめました。
  また、今年のガイドのNguyen thi Huyen さんは、ずっと僕たちの面倒を見てくださり、本当に良い人でした。
  今回は、自分は2度目の参加となったのですが、学年が上がり、去年の反省を生かし、今年は去年よりたくさん交流できました。 IMOは有意義で、色々なことに気付かせてくれる大会のように思いました。 2回のIMOを通して、自分が少し成長したように感じています。
  最後に、IMOの関係者全員に感謝の念を表しておきたいと思います。

銀メダリスト  滝聞 太基
@ベトナムの印象と宿舎について
  ベトナムに行く前、「ベトナム暑そうだなー、寒い国でやるか冬にやってほしいなー」と思っていたのですが、やはりベトナムはどうしようもなく暑かったです。 ところで、なぜ自分はアンダーシャツを脱ぐという単純なことが大会期間中思いつかなかったのでしょう。不思議です。 一方宿舎は、涼しかったので快適でした。 飯が口に合わなかったらどうしようと思っていたのも杞憂でした。 食べ物の中では、フォー(ラーメンのようなもの)が、飲み物の中では水(H2O)が特においしかったです。 自分は、水を6リットル程度しか持っていかなかったので足りる気がしなかったのですがSAPUWAという水がたくさんもらえました。 硬水でどちらかというと塩基より酸な水でした。 これで歯を磨いていた人もいた気がします。
Aコンテストについて
  思うに、参加国が増えると問題の難易度が両極端に偏る気がしたのですがどうでしょうか。
B観光と交流のこと
  観光は朝が早く自分は二度も朝飯を食べ損ねてしまいました。 観光のうちハノイ観光では子供とバイクが多かったです。 Ha Long湾は緑でした。
  交流ですが、英語が難しいです。 それでも他国の選手の喋る言葉は、なんとなく聞き取れたような気になれました。 そういえば、自分は「バレーボールやって突き指をした。」を伝えられず大分困った覚えがあります。 また、日本チームは他国チームに共円を広める活動をしていて、その間吉田君がずっと歌っていました。 また、閉会式後のパーティーで吉田君がミスIMOのマカオの人の肩に腕を回した写真を撮ってにやついていました。


◆団長達の声

団長  伊藤  雄二
@ベトナム(ハノイ)の印象
  Jury Meeting、coordinationの期間中滞在したハロン湾沿いの有名なリゾート地帯は、松島や中国の桂林に似た風景が素晴らしく、宿泊したホテルも豪華だったが、ハノイからその地にいたる約3時間のバスの車窓から見た田舎の町村の町並みからは、経済的にまだかなり厳しい生活を強いられている人々の様子が見て取れた。 バスや乗用車が走るハイウエーでも、モーターバイクが数多く走り回り、反対方向へ行く車が何台も走ってくる中を、バスが警笛を鳴らしながら、対向車線にはみ出してモーターバイクを追い抜いていくのには、何度か肝を冷やす思いをさせられた。 ハノイ市内でも、モーターバイクで動き回る人が、想像以上に多く、活気に満ちてはいるが、喧騒と空気汚染に侵された都会という印象が強く、20年以上も前の、上海、マニラ、ジャカルタの雰囲気に似通っていると思えた。 街を彩る看板からは、日本、韓国、中国その他の国々からの製品が流入していることが、はっきりと見て取れたし、ハノイ市内、郊外のあちこちで、外国資本による新築工場や、建設中の団地などが、数多く見られて、ごく近い将来に、ハノイや郊外の様相は急激に変化するであろうと思われた。
A各自の役割、仕事の全体的感想
  団長(Team Leader)の仕事の前半は、各国の団長をメンバーとする団長会議(Jury Meeting)に出席し、以下の項目について検討し、採決することにある。
(@)コンテスト問題の検討と採択
  主催国によって準備された約30題の問題(Short List)の中から、難易度、分野間のバランスなどを考慮のうえ、適当な問題6題を選んで、コンテスト問題6題を決定し、さらにその6問題を2日間の試験日にどのように割り振るか決める。
(A)コンテスト問題の公式版の作成と検討
  採択された6題のコンテスト問題の英文による公式版が、英語圏の参加国団長たちの協議に基づいて作成され、Jury Meeting に提案されて採択される。 ついで、この公式版に基づき、フランス語、スペイン語、ロシア語の公式版が、それぞれの言語圏に属する国々の団長たちの協議によって作成され、Jury Meetingで検討採択される。
(B)コンテスト問題の各国語への翻訳
  各国の団長は、採択された問題の公式版のいずれかを参考にして、自国のオブザーバーたちと協議の上、コンテスト問題の自国語版を作成し、大会本部に提出する。 提出された各国語版は主催国の問題責任者によって掲示され、これを検討した他国の団長たちから、誤りや不適切な表現などがあることを指摘された場合には、訂正を求められ、適当に訂正されたものが再提出され、再掲示される。 翌朝のJury Meetingでどの国語版についても訂正の必要がないことが確認された後、翻訳版すべてについて、採択することが決議される。 今回は、4つの公式版の他に50ヶ国語の翻訳版が採択された。
(C)採点基準の検討と採択
  コンテスト問題として採択された各問題に関して、その問題の採点調整(coordination)の主催者側責任者が作成した採点基準が説明され、その妥当性について、団長団側から質問、意見の表明があり、主催者側責任者との協議の結果、改定の必要があれば、改定案の提案などがなされた後、団長団の投票で、採点基準案が採択される。
  以上の諸件の決定は、全てJury Meetingのメンバーの投票により、多数決で決定されるが、投票権は各国団長が1票ずつで、オブザーバーたちは、会合に参加できるが投票権はなく、また、議長からの特別の許可を得ない限り、発言もできない。
  Jury Meetingでは、特に、コンテスト問題の決定、問題最終版の公式版の文言、採点基準の妥当性になどに関して、各国団長から、活発な意見が出され、かなり長い時間がそれぞれに費やされる。 団長及びオブザーバーAは、副団長たちに引率された選手団が到着するよりも、4日前に現地入りするのだが、到着早々、試験会場のあるハノイの中心地から、バスで3時間も離れた場所に連れて行かれ、ほぼ缶詰状態で外部との接触も禁止され、4〜5日前述の仕事に専念する。
  これら全般の役割が完了すると開会式の日となるが、式は試験会場にもなったハノイの国立会議場で行われたので、団長団、オブザーバーAたちは、往復6時間バスに揺られて式に列席した。
  翌日と翌々日がコンテストの日で、選手たちにとっては勝負の正念場であったが、団長団は、2日とも試験開始から約1時間、生徒から出る質問に答えるため、待機していることを要請されるだけで、特に仕事はなく、1日目は観光に費やされた。 夜の10時過ぎに、各国選手の1日目の3問題の解答が当該国団長に手渡され、日本選手の答案に関しては、オブザーバーAの入江君と西本君による採点作業が始まった。 2日目の問題の解答が手渡されたのは、試験第2日目の夜10時頃、それまでに合流した副団長の松本君、オブザーバーBの清水君も加わった4人での採点作業が続いた。
  採点の調整(coordination)が翌日朝8時から始まるということで、そのスケジュールがすでに発表されていたが、日本チームのスケジュールには、それほど無理がなく、2日間に亘って6問題のそれぞれについて、主催者側の2人のcoordinatorチームとの調停が行われた。 各問題の採点結果の説明は、その問題を主に採点したオブザーバーに任せたが、筆者も団長として、6問題すべての調整に立会い、主催者側coordinatorと合意した採点表にサインして日本選手団の特典が決定した。
  全ての国のcoordinationが終わった2日目の夜10時過ぎから、最後のJury Meetingが開かれて、全参加者の各問題に対する得点と総合得点が公表され、金、銀、銅メダルの受賞者を、上位何番目までとするかを議論した後、投票で決定して、今大会のJury Meetingの仕事は終わった。
  翌日は、ハノイへの移動と午後のハノイ市内観光に費やされ、さらにその次の日は、午前中ハノイ郊外の観光、午後閉会式、晩餐会と続いて、第48回IMOの行事は、すべて終了した。
B採点、coordinationを終えての感想及び問題の難易度について
  例年通り、6題の出題問題のうち、問題3、問題6に最も難易度の高い問題が配置されたが、ともに問題が難しすぎて、コンテスタント全体を通して、少しでも点を取れた人が極端に少なかった。 一番点が取り難いと予想された問題6よりも問題3の方が、さらに正解者が少なかったが、日本チームは、片岡君が問題3で3点獲得した以外は、両問題とも殆ど全滅に近かった。 一方、例年他の有力チームと比べて、日本チームには苦手と考えられていた幾何の問題が、今年は比較的易しく、日本チームの全員が2題とも満点であったし、他の強豪チームの中には、案外点を落とした選手が出た問題1も、日本チームは全員満点であったことも幸いして、金メダル2、銀メダル4、チーム成績6位という好成績を収めることができた。 5位のアメリカとの差は僅か1点、同点3位の韓国、ベトナムとの差は14点で、難易度中位の問題5で、もう少し点を稼げていたら、3位に食い込めたかもしれない。 しかし僅差で1位2位を分けたロシアや中国との差は、30点ぐらいあるので、そこまで追いつくには、かなりの実力向上が必要であろう。 3問題に対して、日本チーム全員が、厳しく見てもほぼ満点に近いと思える答案を書いていたので、これらの問題に関するcoordinationは、殆ど問題がなく、数分で終了した。 他の3問題に対しては、いくら部分点がもらえるかということで、coordinatorとの間で駆け引きがあったが、こちらの言い分が通るか、または、予想したよりも良い評価が与えられて、議論が長引くことはなく、すべてのcoordination が終わった。 どの問題のcoordinator も、日本チームに対し、好意的であったように思える。
C外国役員との交流について
  筆者にとって今回のIMOは5回目の参加であったが、前回関与した日本大会から4年間の空白があったので、各国Leaderの顔ぶれにも多少変化があった。 しかし、HungaryのLeaderで、IMO Advisory Board のChairmanでもあるPelikan 氏をはじめ、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、アルゼンチン、ギリシャ、イギリスなどのLeader、韓国のベテランMyung-Hwan Kim氏などのが健在であり、旧交を温めるとともに、各国の最近の状況などを聞くことができて、きわめて有益であった。
  もともと参加国の1つであったのに、ここ15年ほど不参加であった北朝鮮が復帰し、6位の日本・ウクライナに次ぐ、8位という好成績を挙げたのが印象的であった。 参加国も93ヶ国となると、Leaderも多士済々だが、比較的若い新顔のLeaderたちが、上記のベテランLeaderたちに伍して、jury meetingで積極的に発言するのが目立った。 特に、コロンビアやトリニダード・トバゴの女性Leaderの積極的発言が注目を浴びた。 Jury meetingの合間に、一夕APMOの会合が開かれ出席したが、5年前のGlasgow Meetingの時には、10数カ国の参加国しかなかったのに、今回の参加者は、20数カ国に増えていたのには、びっくりした。 昨年のSlovenia IMO開催時に開かれたAPMOの会合で、韓国がさらに2年間2009年まで、Senior Coordinating Country を勤めることが決まっており、その折SingaporeがAssistant Coordinating Country を、New ZealandがModerating Countryを、それぞれ1年間勤めることが決められていたが、今回の会合で同じ役目をSingapore とNew Zealandが、もう1年勤めることが提案され、可決された。 韓国は、2009年までSenior Coordinating Countryを勤めることを引き受けた際、2010年には、他の国がこの役割を勤めることを条件としており、その際には、日本にその役割を受け持ってほしいと要請される可能性がかなりあるような気配である。
D観光での印象
  ハノイ空港到着後、すぐに連れて行かれたハロン湾は、ベトナム随一の景勝地とのことであるが、最初の5日間はホテルに缶詰で、部屋のベランダからその絶景を遠めに見るだけであった。 Jury meetingづくめの前半とcoordinationが行われた後半の間の1日に、ハロン湾遊覧船めぐりと、「天宮」と名のついた大鍾乳洞の見物を楽しむことができた。 団長団としての仕事を終えた後、ハノイに戻ってからは、市内にある11世紀に作られたという孔子廟(文廟)と、ベトナムの少数民族(50を越す少数民族が住んでいるという)の文化を紹介する民族博物館の見学にひと時をすごした。
E今回のIMOの全体の感想
  今回のIMO大会には、93ヶ国から520人のコンテスタントの参加があり、団長、副団長、オブザーバーなどを合わせると、総勢1,000人近い人々が一堂に会して史上最高規模のIMOとなった。 開会式、閉会式には首相、文部大臣を始め国の有力者が何人も出席され、祝辞を述べるなど、国を挙げてIMOの成功に尽力されたことが明らかで、非常に盛会であった。 主催者側が集めた問題作成検討委員、coordinator,試験監督委員、ガイドなどの総数は、日本大会で集めた人数に比べると、50%近くも多かったのではなかろうか。 Jury meetingの運営や採点基準案の説明なども、power pointなどを駆使して、まことに手際よく行われていたのが印象的であった。 開会式、閉会式も豪華であったし、Leaderたちの宿泊所となったホテルなども随分立派であり、これまでのIMOに比べて、選手たちの宿泊施設もかなり上等であったようである。 ベトナム政府が国の威信をかけて、この大会の成功のために費用を惜しまなかったものと想像される。 北朝鮮の復帰ということと、台湾の「中華人民共和国台北」と呼んで紹介していた(似通った立場の香港とマカオについては、ただ香港とマカオで済ましているのに)ことなどに、共産主義国家のおかれている立場と中国への遠慮などが多少感ぜられたが、それ以外は何も違和感を感ずるようなことはなかった。 大会中接した多くのベトナム人が、国外からのビジターに極めて丁寧で愛想がよく、特に日本に対して高度の好感を持っていることが常時感じられて、非常に嬉しかった。

副団長  松本  雄也
@ベトナム(ハノイ)の印象
  ハノイ市は、道路にバイクが多く、またクラクションが多く鳴っている(日本の1000倍以上?)。 また、歩行者がかなり少ない(散策していて気付いた)。 これは、車、バイクのほうが便利だからだろうか。 治安上の理由かともちらと考えたが、自分が散策していた限りではそうは感じられなかった。
A各自の仕事について
  副団長の重要な仕事の1つは生徒の引率だと思うが、今年は現地では生徒と割りと引き離されていたためか、生徒の勝手な行動に悩まされた覚えはオブザーバーB(ほぼずっと一緒にいた)に対するそれより少ないくらいで、言い換えれば今年の生徒は(少なくとも自分の前では)常識的な振る舞いを見せていたと思う。
B採点、コーディネーションを終えての感想、問題の難易度
  自分が主に担当した2問(第1,5問)は他の問題より、ベトナムのコーディネーターと採点の差が生じたが、その中でこちら側の意図を通すことにかなり成功したと思う。
C外国役員との交流について
  バスでよく席が近くなった韓国、インドネシアの副団長とは仲良くなったが、それ以外の人とはあまり深い交流はなされなかった。 また、IMOに関して深い議論をなすには毎年入れ替わる学生チューターでは不足なのではないかと思った。
D観光での印象
  自分は一般に観光に対する関心が薄く、今回も観光地に大した印象は持たなかった。 それよりむしろハノイ市内の情景などが印象に残っている。 時間・機会があればもう少し市内で遠出してみたかった。
E今回のIMO全体の感想
  3年前ギリシャ大会に生徒として参加したときとは違う立場で再びIMOに参加した。 副団長として生徒を引率し、他国の団長、副団長、オブザーバーたちと会話したり、採点のcoordinationを行うのは、生徒のときとはまた違う楽しみがあり、良い経験をさせて頂いた。

ObserverA  入江 慶
@ベトナムについて
  今回は、大半の時間をHa-longで過ごした。 Ha-longはベトナムのリゾート地で、綺麗で良いところだった。 Ha-longは、とても人が多く(そしてバイクに乗っている人が多い)エネルギッシュで道路を見ているだけで面白い。 今回は、IMOという特別な大会だったのでベトナムという国のことがどの位理解できたかはよく分からない。
Aコンテストについて
  初日にSLPの問題の難度と美しさを評価する仕事があったが、時間が短く(約1日)大変だった。 問3、問6は、ここ数年でもかなり難しいセットだと思う。 問3は、とてもハードな組合せだがIMOらしい問題だった。 問6は、より進んだ数学を学んでいるかどうかが大きく影響する問題に思えた。 問1,2,4は、どれもあまり難しくないが、全員が満点を取ったのはすごいと思う。
Bコーディネーションについて
  ベトナムのスタッフは例年に比べて緩やかだったようだ。 また、今年のマーキング・スキームは全体的には良くできていたと思うが、いくつか不備があったと思う。(減点、加点すべき事項が不十分だったり、部分点を与える規準が不適切だったりした。) 問3のコーディネーションでは、事前にイギリスのコーディネーターの得た別解を手に入れていたので(これは伊藤先生のおかげ)、副島君の答案で1点を主張したら通った。 一方、同じ答案で0点になった韓国の選手もいたそうだ。 事前に得た情報でコーディネーションの結果が左右されるということを知った。 生徒の答案は、解けていても説明が不足していたり不正確なものが割りとあった。 答案を書くTrainingも必要だと思う。
C交流について
  今回は、参加期間が長かったので、生徒のときより幅広い交流ができた。 主に交流したのは、同年代の人たち:韓国のオブザーバーや現地(ベトナム)のコーディネーターだった。 ヨーロッパ圏の人々とは、言語の壁(彼らは、互いに仏語、独語などで会話をする)、年齢の壁もあってあまり交流できなかったのが残念だった。
DIMO全体について
  全体的にとても良く運営されていたと思う。 また、生徒とスタッフの交流会という初めて見る素晴らしいactivityもあった。 また、生徒、スタッフともに居食が充実していたと思う。 あくまで推測だが、IMOの国内での知名度が高く、国家が様々な面でサポートしているのが大きな要因だと思う。(生徒の交流会の司会に一流のタレントを使うなんて国のサポートがなかったらできそうにない。) また、今回の大会も大学生のボランティアがいろいろな面で活躍していた。 ほぼ、同年代なので交流する機会も多く、とても楽しかった。

ObserverA  西本 将樹
@1始めに
  これまでと違い、オブザーバーとしての参加ということで少し不安もありましたが、やはりIMOはとても充実したものでした。 今回は、宿舎や食事の質もとても高く、とても快適に過ごすことができました。 我々は、生徒より早くベトナムに入り、各国の団長たちと共にIMO問題の選出や問題文の作成に関わりました。 会議を通して多くの人の良質なコンテストを提供しようという真剣な思いを感じることができました。 この期間は、自由に外出することはできませんでしたが、暇な時間は多く、韓国チームのオブザーバーや現地のスタッフの方々を中心に多くの皆さんと交流の機会を持つことができました。
A試験、コーディネーション
  コンテストが終わった日の深夜、いよいよ生徒の答案が送られてきました。 答案を見ていると生徒の取り組む様子が思い浮かべられ、自分が選手だった頃が少し懐かしかったです。 コーディネーションは、お互いの主張が真っ向からぶつかる激しいものも想像していましたが意見の対立はあまりなく、所々説明を要求された以外はスムーズに行きました。 結果的には予想以上に点数をもらうことができてコーディネーションは大成功、日本の成績も6位ととても良いものでした。 実は、いくつかラッキーなことも起きたのですが、生徒の頑張りの結果だと思います。 おめでとう。
B観光について
  生徒のコンテスト中、またコーディネーション後には観光がありました。 美しい海の上をクルージングしたり、ベトナムの伝統的な学校、民俗博物館、silk工場などへ。 バスガイドさんがとても良い方で観光先に対して分かりやすく説明してくださったり、買い物を手伝ってくださったりしました。
Cパーティー
  ハノイに来た夜、ようやく生徒と同じ都市へ来たということで生徒の宿舎へ遊びに行きました。 そこでは、何と多くの生徒を集めてパーティーが行われていたのです。 多くの国の人がパフォーマンスを披露するというもの、多くの歌やダンスがあり、とても exciting なものでした。(実はVTVで流れたとか) 自分が選手だったときにはそのようなイベントはなく、少し今年の選手がうらやましかったです。 ちなみに Japan team は賞をもらうようなパフォーマンスは、ありませんでした。 けしからん奴らだ。
Dその他
日本語の話せる(程度はピンキリ)現地の方に多く(10人以上)会いました。 ガイドさんは超ベラベラ、やや日本語ブームとか?嬉しい限りです。
大学生になってからもこのような大会に参加させていただき感謝しています。 少しでも生徒たちの役に立てたのなら嬉しいです。 また、僕自身も財団の方や leader、共に IMO に行ったオブザーバーたち、ベトナムの方々、ガイドさん、その他 IMO に関わった全ての方々に暖かく接して頂けてとても良かったです。 皆さん、有難うございました。

ObserverB  清水 俊宏
  今回のIMOが自分にとって2度目の海外旅行であった。 前回の海外旅行もIMOの選手としてであり、2度も貴重な経験をさせて頂いた財団には、とても感謝している。 生徒と一緒にいたりコーディネーションも行ったりと結構忙しかったが、とても楽しかった。
  ハノイの町は、車よりバイクが多く、車がバイクの間を縫って走っていくといった感があった。 クラクションが多くとてもうるさかった。 しかし日本とは違う何か素朴な光景が随所に見られ、まるで数十年前の日本を見ているかのようだった。 町中至る所にIMO開催を知らせる横断幕があり、国家の威信をかけた大会であることをうかがい知ることができた。 開会式は非常に大きなホールで盛大に行われ素晴らしいものだった。
  コーディネーションでは、2と4を担当した。 どちらも相手方のコーディネーターが事前に答案を読んできてくれていて不明確な点をこちらが説明すればよく、相手方も良心的に見てくれて、意見が食い違うこともなく自分の主張を通せた。 日本選手の成績も過去最高であり、とても満足のいくものであった。
  選手たちは仲が良く、開会式で忍者のパフォーマンスを披露したり、他国の選手やガイドさんとも積極的に交流したりとIMOを十分に楽しんでいるといった印象であった。 IMO関係者の皆様、有難うございました。

ObserverB  田ア 慶子
  ハノイの印象は、湿度の高さ、オートバイの多さとクラクションの音と急ブレーキに象徴される日本では考えられない無秩序な交通ルール。 また、それとは対照的に歩道の歩行者は少なく、歩道は食堂やカフェの簡易椅子と露店であふれており、庶民の生の生活感を感じさせられた都市であった。
  副団長の松本雄也さんと共に生徒の引率、健康管理、財団との連絡が主な仕事だったが、大会期間中、誰も大事に至るような体調の崩れもなく、ほっとした。 日本との時差は2時間だったので財団との連絡もスムーズにできた。 生徒も全員、要所要所でしっかりした行動で立派だった。
  他の国との役員交流では、韓国、シンガポール、台湾、インドネシアの副団長、observerBの方々と親しくなった。 特にシンガポールの陽気で気さくなobserverBとの日本のコミックを通しての会話やインドネシアの女性副団長とは、同じ女性という立場で交流できた。
  IMOにしては珍しく、最初から団長団の宿舎が公開されていたために、コンテスト終了までは役員として言動に注意を払わなければならなかった。
  観光で一番印象に残ったのはハロン湾で、さすがユネスコ世界遺産に登録されているだけあって素晴らしい景観だった。
  今回生徒についてくださった通訳のフェンさんには、全ての面で大変にお世話になり、感謝の思いで一杯である。 帰国の空港で、彼女の手作りの日本選手団のアルバムを頂き、全員感激して彼女との別れを惜しんだ。
  最後に、私の留守中、財団の仕事を支えて下さった事務局の皆様に感謝申し上げたい。



◆国際順位 (参加国93カ国、520名)
順位
ロシア
中国
韓国、ベトナム
アメリカ
日本、ウクライナ
北朝鮮
ブルガリア、台湾
11 ルーマニア
12 香港、イラン
14 タイ
15 ドイツ
16 ハンガリー
17 トルコ
18 ポーランド

開催国の Web Site は、下記の通りです。
http://www.imo2007.edu.vn/


◆参加者の写真

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ノイバイ空港にて、
IMOベトナム大会の旗を持って
開会式での日本選手
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ガイドさんと一緒に、
開会式後の忍者姿で

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交流会でのファッションショー、
ベトナムの民族衣装を着て
ハロン湾にて、
4人の学生コーディネーター
閉会式後、
日本選手団記念写真
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左から、滝聞、吉田、片岡、
副島、関、井上の各メダリスト



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