第52回2011年 国際数学オリンピック(IMO)オランダ大会
金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル2個
◆参加報告

  第52回国際数学オリンピック(International Mathematical Olympiad:IMO)は7月13日から24日までオランダのアムステルダムで開催された。
  参加各国の団長達は、選手団よりも一足早く、7月13日にアムステルダム入りして大会の準備に努め、16日には選手団が次々と到着、翌17日に開会式が行われた。 直前にドイツで女子サッカーの世界選手権で日本チームが優勝したこともあり、現地のTVに、森田団長、藤田副団長、清水選手、峰岸選手がインタビューを受けたりもした。 コンテストは18日、19日の2日間わたって行われた。コンテスト後、選手たちは地元を観光しつつ国際交流に努めた。大会の様子や選手の動向などがインターネットを通して配信された情報公開の進んだ大会であった。 成績は以下のように、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル2個、国別の総合成績は12位であった。

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日本代表選手の成績
メダル 氏 名 学 校 名 学年
吉田  健祐 筑波大学附属駒場高等学校 高3
北村  拓真 灘高等学校 高2
峰岸   龍 静岡県立清水東高等学校 高3
越山  弘規 甲陽学院高等学校 高3
清水  元喜 灘高等学校 高3
村井  翔悟 開成高等学校 高2


☆選手達の声(アルファベット順)
各選手に、@ オランダの印象 A 宿舎について B コンテストについて C 外国選手との交流について D 観光での印象 E 今回のIMOの全体の感想 についての感想を書いてもらいました。

北村 拓真  選手
@ 雨が多く、また予想以上に寒かったです。自転車大国というだけあって、自転車専用の道や信号まであったのが印象的でした。
A ノボテルアムステルダムシティに期間中ずっと連泊しました。きれいなホテルで、とても快適でした。
B 1日目のセットは個人的にとても厳しく、特に難しかった2番を長く考えたせいで、易しめだとされた3番をあまり考えられなかったのが残念でした。2日目は、4,5が早く解けたおかげで自分の好きな幾何の6番をじっくりと考えることができました。
C 英語が苦手なのでそこまで深くなかったですが、ホテルにゲームコーナーがあって、そこで様々な国の人とゲームをしたり、サッカーの大会に参加したときに、同じチームだったアイスランドの人々と交流したりできたのでうれしかったです。
D サイクリングをしたり、アムステルダム市内やデン・ハーグを歩いたりボーリングをしたりと楽しいエクスカーションが多かったです。街にはいろいろな芸術作品や大きなチェス盤などもあり雰囲気がとてもよかったです。
E あらゆる情報がオープンな印象でした。結局、コンテストでは3問しか完答できませんでしたが。コーディネーションでたくさん点を取ってもらい、金メダルをもらうことができました。団長はじめ副団長やobserverさんたちに感謝です。来年のアルゼンチン大会にも参加できたらなと思います。

越山 弘規  選手
@ 太並みに寒いです。
A 安定したおいしいメシ・ソバ・パンを喰えたり、部屋を広々と使えたり、蛇口から飲み水が出たりして、とても快適でした。
B day1 はまた昨年の day2 のパターンの問題の並びでした。本番はやはり厳しいです。
C 日本人との交流すらまともにできないのに外国人と交流できるはずがないと思っていましたが、向こうの方から気さくに話しかけてきてくれたので、ニュージーランド人、南アフリカ人、サウジアラビア人、アイスランド人などと加減の良い英会話ができました。
D 建物の形が奇抜だったり、道端に突然段ボールや人間の顔など穏やかでないものの模型があったりして面白い感じがした。
E 環境は最高でした。試験では昨年に引き続き成績を残せませんでしたが、その挫折も含めてIMOはとても良い経験になりました。関係者の皆様、有り難うございました。

峰岸  龍  選手
  アムステルダムは首都にも関わらず混雑しておらず、少し郊外に出ると湿地が広がり羊や牛の放牧がされています。観光の中で牛が水路をはさんですぐ横にいるところをサイクリングで通りました。 自転車、路面電車、運河を通る船など交通手段が多く(すべて経験しました)、それもあってか道幅がどこも広かったです。
  オランダの人々は日本人よりも”横断力”が強く、車が来ていても道を渡る能力が高かったですが、自転車に対する”横断力”は極めて弱かったです。 至る所で、イタリア語を話す怪しいおっさんがイタリア風アイスを売っており、イメージ戦略の大切さを学びました。 ”スポンジ・ボブ”というアイスを勇気を出して買ったらただのバニラだったことは忘れられません。 オランダは大会期間中、雨が多かったせいもあるかもしれませんが、涼しく快適でした。 しかし、清水君や吉田君のように海水浴をするには適していませんでした。外国選手との交流についてですが、私はSETという知的なカルタのようなゲームを教わり、多くの人とプレイしました。 すさまじく強い人が何人かいて、私もそういう方と対等に戦えるぐらいにはなりましたが、オーストラリア人にはかないませんでした。 それから、クウェートのアッハマドさんとは、様々な場面で一緒になることが多かったのですが、日本語を勉強していることを最終日に知りました。 アイスランドの方々と一つのチームとしてサッカー大会に参加しましたが、彼らはおそらくサッカーをしにIMOに来たのでしょう。 コンテストについては、2・3番が解けず悔しい思いをしましたが、新しい問題を世界中で最初に解くというのは純粋に楽しい体験でした。
  今回のIMOでは素晴らしい経験をたくさんさせていただきました。財団の皆さんと、頼れるガイドの萌衣さん、チューターの皆さんには感謝しています。ありがとうございました。

村井 翔悟  選手
@ アムステルダム空港に着いたとき、まず涼しい国だというのを感じました。その後も、気温は20°C程度でとても過ごしやすかったです。
A Novotel Amsterdam Cityというホテルに泊まりました。ホテルは食事もおいしく、設備もよかったのでとても快適でした。
B 試験は例年通り1と4が簡単でそれ以外は難しいという形でした。2が日本選手の苦手な種類ということもあり、あまり点数がとれませんでした。
C 国際交流は言語の問題などもあり、なかなかできませんでした。しかし、ゲームコーナーでSETというゲームをしていると、他の国の選手も参加してくることがあったりして、少しはできたという感じでした。
D 自転車でアムステルダムの北のあたりを回りました。走っていくとすぐに草原が広がり、オランダは自然豊かな国であるという印象を受けました。また、風車がたくさんあったのもオランダならではだと思いました。
E 今回のIMOは、特に困ることなどもなく、アトラクションも充実していて、とても楽しいものとなりました。

清水 元喜  選手
@ 評判通り運河が張り巡らされた国で、きれいな落ち着いた家並みが多かったです。また、道路の幅が日本よりずっとゆったりしていて、自転車専用道も整備されていたのが印象的でした。 天気は夏だというのに雨が多く降り気温も低く、まるで日本の11月くらい?を思わせる空模様でしたが、日本の酷暑よりはずいぶん過ごしやすかったです。
A 標準的なシティホテルといったホテルでしたがIMOの宿泊としては十分すぎるほどきれいで豪華で、設備の整ったホテルでした。また、ゲームコーナーが用意されており、そこで、好きなゲームを通して外国選手との交流もできました。ただ、食事は単調で、最終的には飽きました。
B 組み合わせ論が2問出たのには驚きました。 5番の初手で±を間違えるという致命的なミスをしていて、それに気付いたのがテストの終わる30分前で十分に修正できなかったため一点減点されたことがくやまれます。 むしろ5番の難易度がそこまで高くなく、何かと修正できた幸運に感謝すべきでしょう。
C 昨年同様に前半はあまり交流できませんでした。 英語が苦手なのも一因だったと思います。フランス人に Does anyone in your team speak English well? と言われたのはトラウマ。 そんな日本人の強い味方は”SET”というゲームでした。峰岸君が中毒になっていました。 アニメオタクのクウェート人や一緒にサッカーをプレイしたアイスランド人と仲良くなりました。
D 非常に充実した観光でした。1日目はアムステルダム郊外の町まで30km近くをサイクリング、2日目はデン・ハーグを一日中歩いた後、海で泳ぎ(僕と吉田君だけですが・・・)、3日目は午前中にサッカー、午後はアムステルダムを2時間歩き続けるという中々の体育会系IMOでしたが、オランダの美しい田園風景など印象深い光景を多々見ました。
E 情報公開が非常に徹底されていた大会で、運営も滞りなくスムーズに行っており、また、スタッフのセンスを感じさせるイベントが目白押しでとても楽しい一週間を過ごせました。この大会に関わった全ての方々に感謝をささげます。

吉田 健祐  選手
@ 思っていたよりずっと涼しく、日本の夏と違って冷房なしで快適に過ごせることに驚きました。オランダは自転車を利用する人が多かったです。
A 立派なホテルだったので、快適に過ごすことができました。開会式・閉会式の会場やコンテストの会場とも近かったのでよかったです。
B 今年は2と3で2の方が難しかったり、幾何が1問しか出なかったりして例年と少し違う出題でしたが、目標としていた金メダルを取れてよかったです。
C 最初の頃は英語力の不足のせいで、少し苦労していましたが、だんだんとどのようにすればいいか分かってきて、スポーツ・遊びなどを通して交流できました。
D サイクリングで風車を見に行ったり、ボートでアムステルダムを観光したりしました。 オランダの有名な所を観光し、アムステルダム・ハーグなどを歩き回ることができてよかったです。
E 今回のIMOは初めてのIMOであり、初めての海外旅行でした。 だから出発前はかなり緊張していたのですが、参加してみるとあっという間でした。 全てが貴重な経験になったと思います。最後に、IMOを支えてくれた関係者の方々、ありがとうございました。

☆団長達の声

団長  森田 康夫
  今回の大会では、問題を選ぶ側の難易度の評価と、コンテスト参加者の難易度の評価がずれ、その結果、日本や韓国は順位を落とした。 しかし、日本選手は金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル2個を獲得し、健闘した。また、例年のことでもあるが、Observer A として参加した OB は選手の答案を丁寧に読み、 Coordination で選手の得点を少しでも良くするために最大限の努力をした。 選手および日本代表団をサポートして頂いた皆様に、心からお礼を申し上げます。
  さて、反省すべき点として、
(1)問題の難易度が問題番号で決まっていると誤解し、時間配分に失敗したことがある。 このことは事前に選手に注意されていたが、うまくいかなかった。
  より本質なこととして、
(2)シンガポール、台湾、タイ、イラン、トルコに負けるなど、発展途上国が先進国を急速に追い上げていることがある。 海外で努力しているライバルに負けないよう、真摯な努力が必要である。 そのためには、日本選手活躍の基盤となっている数学を研究するクラブなどを、より多くの学校で作ることが必要である。 この文を読んでいる皆様に、ご協力をお願いしたい。
  今回の大会では、各国代表で構成する Jury Meeting に、Advisory Board (理事会)から、「問題の選択を Problem Selecting Committee に委ね、開催国の負担を軽減する」ことが提案されたが、各国の意見が割れ、 Ethic Committee を作り、検討することになった。 しかし、参加国が100を越え多様化する中で、IMO(国際数学オリンピック)を公正に行い、色々な国で大会を開催するためには、改革は避けられないと思われる。

副団長  藤田 岳彦
@ 高層ビルはなく落ち着いた感じの街並みは、同じ首都でも東京と異なるものであった。また、いたるところにある運河がのどかな印象を与える。
A 採点、コーディネーションは問題なくうまくいったと思われる。
B 1日目の2,3は日本選手にとって難易度が逆で、2に時間を使いすぎたため3が解けなかった(吉田君を除いて)のはもったいなかった。 実際、4位との差はわずか14点で、3でもう2,3人7点満点がとれたはずと思われ、残念ながら4〜5位に入るチャンスを逃してしまった。
C 米国の役員Feng氏に代表選手育成(夏休みの8月に3週間集中的に講義・演習を行う)のやり方を聞いた。 日本では春合宿後は通信添削しかやっておらず、代表に選ばれてからの育成(IMO本選対応の講義・演習)が必要であると感じた。 同じく強豪国のタイ、シンガポールの役員とも話をしたが、やはり代表に選ばれてからの育成を3週間から4週間やっているとのことである。
D 運河クルーズから見たアムステルダムの街は印象的で楽しかった。名物の風車が遠く、見ることができなかったのは残念であった。
E Bでも述べたが、2の代わりに3を先にやっておけば合計点はもう20点くらいは伸びたはずで、中国、米国を破るのは難しいとしても、ロシアを破るには絶好のチャンスだったかも知れないのはもったいなかった。 その中でも、初出場にもかかわらず35点で全体の6位だった吉田君は特筆すべきものと思われる。北村君も金をとれて良かったと思う。 越山君は後で3が出来ましたとの報告を受けたが、できていれば金だったのはもったいなかった。 峰岸君も初出場にも関わらず銀は健闘したと思う。清水君が単純なミスをして銅になったのは残念だった。 村井君は初出場で銅であったが、来年も出場できる可能性があり、慣れてくればもっと好成績を残せると思われる。 日本人選手達はいい生徒ばかりだったと思われる。

APMO Chairperson  伊藤 雄二
  1996年の第37回インド大会に副団長として参加してから、今度の大会は、筆者にとって、日本大会(2003年)を含めると、9回目のIMOということになる。
  ハンガリーの団長Pelikan氏をはじめとして、かなりの人数の古顔が各国の団長やオブザーバーとして健在で、一年ぶりに再会して、旧交を温めることが出来たが、いくつかの国から、若い団長が出てきて、Jury Meetingなどで活発な発言をし、世代交代が進んでいることを強く印象づけられた。
  オランダの数学の歴史は、かなり古く、有名な数学者も出ているのだが、なにぶん人口1650万足らずの小さい国で、大学や研究所の数も多くないから、問題選定責任者や、採点調整会議のcoordinatorを揃えるのが大変なのではないかと思っていたが、東西ヨーロッパ各国からかなりの人数のIMOの運営に詳しい数学者の応援があって、強力な運営委員会が組織され、大会の運営は、極めてスムーズに行われた。
  例年のように、まず、比較的容易な問題2題、次いで難問が2題、最後に難易度中位の問題が2題という順序で、試験問題がJury Meetingで採択されたが、難易度中位の問題として選ばれた試験第1日の問題2が、多くの選手たちにとっては、意外に解き難かったようで、この問題で点を落したり、又時間をかけすぎて、難問としては、比較的点を取り易かった問題3に十分時間がかけられなかった人たちが多かったようである。
  日本の選手の中にも、その様な人が多かったようで、このことがなければ、もっと上位に食い込むことが出来たのではないかと惜しまれる。それでも、参加国101カ国中12位とは、まことに立派な成績で、選手諸君の健闘をたたえたい。
  日本がIMOに参加し始めてからかれこれ20年になるが、今回初めて、日本からの出題問題が試験問題に採択された。Jury Meetingで採択が決まった後、「美しい素晴らしい問題を出題されたのに敬意を表する」と、数多くの団長やオブザーバーから賛辞を受けた。
  ただし、この間題は、難易度最高(問題6)とされて選ばれたもので、選手にとっては、難しすぎた感がある。といっても、この問題で満点7点をとった選手が、4人いたので、決して、無茶な問題ではなかった。
  今回の結果で特筆すべきことの1つは、満点42点を獲得した唯一の選手が、ドイツの女性であったことで、彼女はこれまで、2年続けて上位の金賞を取り続けていたが、今回は唯一の満点取得者という栄誉に輝いた。この9月から大学に進学する由で、これが最後のIMOになった訳だが、素晴らしい形で有終の美を飾ったことになる。日本からは、10数年前に、女性が選手に選ばれ、金賞銀賞を獲得したことがあるが、それ以来女性の選手が出ていない。今後の日本女性の活躍をおおいに期待したいものである。

オブザーバーA  越川 皓永
  今回は立場をかえて5 年振りのIMO です。前とは違った様々な体験ができ、色々なことを思い巡らすよい機会になりました。 最初に滞在したのは、Eindhoven でした。会議とその準備や結果へ対応の繰り返しです。 100 ヶ国近くの団長たちが議論する様子は興味深いものです(発言する団長には偏りがありますが)。 なるべく議論して、大会をよいものにしようという雰囲気がありました。 IMO が熱意ある団長たちに支えられていることをはじめてしりました。 ただ、時間は限られており、なんでもうまくいくわけではありません。 例えば、問題2 は想定と違いこの位置の問題としては歴代きっての難問となってしまいました(しかし、とてもいい問題です)。 試験が始まり、採点基準も決まると僕たちは少し息抜きの時間を持ち、試験終了後に選手たちのいるAmsterdam へと移動しました。 coordination では、日程の関係で2 番と3番を主に担当しました。 2 番は大部分が日本語である答案を説明する必要があり、拙い英語力も災いして苦労しましたが目標の点数を取ることができました。 逆に3 番は少し貰いすぎぐらいの点数で何も議論せずに同意することができました。 数学のコンテストの難しさを改めて実感しました。 日本選手は2 番で健闘したと思いますが、例年よりは易しい3 番では振るいませんでした。 時間配分に失敗したのかもしれません。 今後に生かして欲しい点です。 全体としては例年に近い結果にまとめてくれた選手たちを讃えたいと思います。 coordination も終わると、選手と一緒に遊んだり、excursion に行ったりと長かった2 週間の残りの時間を楽しみました。 今回、IMO がいかに多くの人々によって支えられているかを強く再認識しました。 日本チームのガイド赤津萌衣さんをはじめ関係者の方々の努力に感謝したしたいと思います。

オブザーバーB  淺井 康明
  第52回IMOオランダ大会は、アムステルダムで行われた。 オランダは、江戸時代の鎖国下で、唯一外交関係を維持した国であり、私にとっては親近感のある国であったので、楽しみにしていた大会でもあった。
  大会は、アムステルダム郊外のRAI Central駅近くのホテル(Novotel Amsterdam City)を本部とし、開会式と閉会式は、ホテルから歩いて10分程の劇場(RAI Theatre)で、コンテストはホテルからバスで15分程のスポーツセンター(Sporthallen Zuid)で行われた。
  今回のIMOは、ネット時代を反映し、開会式や閉会式などがパソコンのネット上で同時中継された。コンテスト大会の会場内の撮影も許可され、コーディネーションの結果による生徒の得点もすぐにネット上に公開されるという、非常にオープン化された大会であった。IMOが、ますます多くの国々の人々の関心を集める時代となってきたことを実感した大会であった。
  コンテストにおける日本選手の成績については、昨年の代表選手3名が今回の代表に含まれており、しかも高校3年生が4名いるということで大いに期待されたが、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル2個、国別順位が12位という結果に終わったことは、少し残念であった。 しかし、初日の2番の問題に皆躓いてしまったのが原因であり、それを除けばよく頑張ったとも言えよう。   なお、中国、アメリカに次いで、シンガポールが国別3位に、さらに、日本より上位にタイ、トルコ、台湾やルーマニアなどの国々が名を連ねており、教育に力を入れようとしている発展途上の国情が少し窺える感じがした。
  コンテストの合間やエクスカーションで見たアムステルダムは、無数の運河を巡らし、世界を席巻した中世の街並みを留めるとともに、歴史の荒波を超えて今を迎えている人々の穏やかな息遣いも感じられる素敵な街であった。 ナチスドイツに迫害されたアンネ・フランクの隠れ住んだアパートも、運河に面し静かな佇まいを見せていた。
  またアムステルダムは、北海道より北に位置し海を望む街であるせいか、大会期間中は晴れた日であっても急に雨も降るという不安定な天気で、気温も20°までいかない肌寒い毎日であったが、皆、体調を崩すこともなく過ごすことができた。
  選手達は、ホテルでの自由時間でのゲームやエクスカーンでの観光、閉会式後のパーティーなどで、記念品を交換し合い、他国の選手との交流を深めていた。 選手達がこのIMOでの経験を各々未来に生かしていくと同時に、手を携えて互いの研究を深めることに繋がれば素晴らしいことであると思っている。
  世界から注目されるようになったIMOが、その本来の目的・意義を見失うことなく、今後も発展していくことを切に願い、私も微力ながら今後とも尽力していきたい。




◆国際順位       (参加国101ケ国、564名)
順位
 1 中国
 2 アメリカ
 3 シンガポール
 4 ロシア
 5 タイ
 6 トルコ
 7 北朝鮮
 8 台湾、ルーマニア
10 イラン
11 ドイツ
12 日本
13 韓国
14 香港
15 ウクライナ、ポーランド
17 カナダ、イギリス
19 イタリア
20 ブラジル、ブルガリア
22 メキシコ
金メダル 54人、  銀メダル  90人、   銅メダル   137人

開催国の Web Site は、下記の通りです。
https://www.imo2011.nl/


◆参加者の写真

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恒例の人文字 IMO 日本選手 日本選手団
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開会式 国際交流 表彰式後

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