公益財団法人  数学オリンピック財団



第50回2009年 国際数学オリンピック(IMO)ドイツ大会
大健闘!! 金メダル5個、国別順位2位
◆参加報告

  第50回国際数学オリンピック(International Mathematical Olympiad = IMO)は、7月14日から21日までドイツのブレーメンで開催された。 参加各国の団長達は、一足早く、7月10日にブレーメン入りして大会の準備に努め、13日には選手団が次々と到着、翌14日に開会式が行われた。 日本選手は、祭りの衣装で日本紹介のパフォーマンスを行い、会場から大きな拍手を受けた。 コンテストは15日、16日に、一斉に行われた。 コンテスト後、選手たちは地元を観光しつつ国際交流に努めた。 日本の成績は、全員の努力の結果、総合成績2位、個人成績は金メダル5個、銅メダル1個という素晴らしいものであった。 副島真君は、全問正解の満点で世界1(他に1名)の快挙を成し遂げた。

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日本代表選手の成績
メダル 氏 名 学 校 名 学年
副島  真 筑波大学附属駒場高等学校 高3
岸川 滉央 久留米大学附設高等学校 高2
保坂 和宏 開成高等学校 高3
滝聞 太基 筑波大学附属駒場高等学校 高3
今村 志郎 灘高等学校 高3
石川  卓 北摂三田高等学校 高3


◆選手達の声

金メダリスト  副島 真
ドイツ(ブレーメン)の印象
   ドイツのブレーメンは、スペインと似ていました。 緯度が高く日が沈むのが遅かったです。
   特に宿舎が火事騒ぎで、消防車が来たことが印象に残りました。
宿舎について
   宿舎は大学の寮でした。食堂や他の施設まで少し離れていて大変でした。
コンテストについて
   コンテストは2日間行われ、1日に3問を4時間30分で行われました。 今回の問題はメキシコ大会と似ていて、4問はとても簡単でした。 他の2問もあまり難しくなく、例年より解きやすかったです。
外国選手との交流について
   外国の選手とはあまり交流できませんでしたが、クロアチアの有名な人とお会いし、また、ポーランドの人にも会うことができました。 選手以外では、パーティーで Pelikan さんや Lovasz さんに話しかけられました。
観光での印象
   観光は、ブレーメンやその近くの都市、世界遺産の島などに行きました。 歩く時間や立っている時間が多くて大変でした。
全体の感想
   今回の IMO は、50周年記念の年で、記念式典に参加したことも印象に残りました。 IMO関係の皆様、ありがとうございました。

金メダリスト  岸川 滉央
ドイツ(ブレーメン)の印象
   水の代わりに、炭酸の飲み物を多く飲みました。 日本とは大きな違いです。
宿舎について
   宿舎は大学の寮でした。 ホテルなどと違って多少不便でしたが、特に、風呂でお湯が出ないことがありました。
コンテストについて
   最初に、英語の問題が目にはいり、日本語の問題が無いのかと思い焦りました。 実際には、英語と日本語の両方の問題があったのですが…。
   後は、落ち着いて問題を解くことができました。
外国選手との交流について
   スポーツ(バスケットやサッカーなど)を通して、交流を深めることができました。
観光での印象
   ブレーメン市内など、3か所を観光しましたが、3回目に行った島の観光は、とても寒かったです。
全体の感想
   6番の問題が解けなかったのが、とても心残りですが、金メダルが取れたことはとても嬉しかったです。

金メダリスト  保坂 和宏
   ドイツには、以前から行ってみたいと思っていたのですが、自分にとって2回目のIMO 参加で10日間の旅となりました。
   ドイツは、昼間の時間が長いという、いかにも高緯度だと実感できる所で、朝夕は涼しく快適な気候でした。
   宿泊した所は、Jacobs大学のキャンパス内で、シャワーの使い辛さ以外には問題のない1〜2人部屋でした。 食堂での食事は全体的においしく、量が多いので、つい食べ過ぎてしまうこともありました。
   コンテストの問題は、例年よりかなり簡単だったように思います。 2日目の4番で sine と cosine を間違えて、時間を大幅にロスしてしまい、6番の問題を1時間位しか考えられなかったことが、心残りとなってしまいました。 しかし、結果は金メダルが取れて個人8位となり、十分満足がいくものとなりました。
   外国の選手との交流については、話しかけたり話かけられたりしたことは、去年より多くありました。 英会話の力は向上していませんでしたが、交流に積極的になれば何とかなるものと実感しました。 また、わずかなドイツ語を生かして、運営側の人とも話すことができました。 香港チームのガイドさんには、バス内で大量のドイツ語の単語を教えてもらいました。 同じ年だと分かってとてもびっくりでした。
   観光は、スケジュールが丁寧で、疲れることなく、かつ、存分に楽しめました。 Bremen 市内の散策など、自由な時間が何回もありましたが、街並みの素晴らしさに、飽きることはありませんでした。 かの有名な音楽隊の像にも触れられて良かったです。
   日本チームのガイドの Matvey さんには、大変お世話になりました。 日本語が上手い上に、日本選手のいる場所を探す能力が優れていたり、ハイスペックな PC を携帯していたり、その他いろいろとすごいでした。
   今年は、IMO 50周年ということで、記念式典もありました。有名な数学者と会えたことは貴重な経験でした。    IMO関係者の皆さん、どうも有難うございました。

金メダリスト  滝聞 太基
ドイツ(ブレーメン)の印象
   飛行機からは、森林が多い印象でしたが、実際も緑が多く、気温は日本より涼しく快適で、昼間の時間が長かったです。
   夏時間でもあって、21時半でも明るいので、スポーツするのには良かったですが、寝るのが遅くなりがちでした。
宿舎について
   宿舎は綺麗で快適でした。 食事も基本的にはおいしかったです。 また、去年と違って全員が同じ敷地内の宿舎であったことも良かったです。
コンテストについて
   コンテスト問題の3番と6番がほとんど解け、4番がちょっとしたミスで点を失ったので、 個人的にはベストとは言えず残念でしたが、金メダルが取れたので良かったです。
外国選手との交流について
   自分は英語力がなくて、外国の選手とはあまり話せず、また今年は外国の選手とスポーツをすることもあまりなかったようで残念に思っています。
   一方、英語に加えてドイツ語も話せる保坂君は、男性でも女性でも他国のガイドさんにも話かけアグレッシブに行動していたのが羨やましかったです。
観光での印象
   観光でブレーメン市内に行ったのですが、ヨーロッパの建物は独特のものがあり良かったです。 また、飛行機から見たとき、同じような屋根の家が多いのが印象的でした。
   Wangerooge 島にも行ったのですが、世界遺産らしく Windows XP の壁紙のような所や風の強いビーチなどは、とても綺麗で感動しました。
全体の感想
   今年のガイドさんは、いろいろとスペックが高く面白い人でした。 また、今年のオブザーバーAの人は、いろいろとテンションが高く面白かったです。 オブザーバーBには、今年もお世話になりました。
   Leader や Deputy をはじめ IMO の運営に携わった方々に感謝しています。

金メダリスト  今村 志郎
   ドイツの印象として残ったことでは、太陽が出ている時間が長いということがあります。 特に、日没は、高緯度に加えてサマータイムということもあって、いつも夜9時位でした。 そのせいか、夜遅くまでスポーツをしている人が多かったです。
   一方、宿舎( Jacobs 大学の Mercator College )の設備はまあまあでしたが、本来は1人部屋を1人で使う所と2人で使う所があり、2人で幅の狭い補助ベットを使っていた石川君と副島君は大変だったと思います。
   コンテストについては、金メダルという結果になったのは本当に良かったです。 ただ、ミスをするなど、得点を更に伸ばす余地を残してしまったのが残念です。
   コンテストが終わった後は観光でした。ブレーメン市内の観光では、印象深いものが多かったです。 握ると運が良くなる(?)という「ブレーメンの音楽隊」の像のロバの足を握ることができました。
   観光の他には、今年が第50回ということで記念式典があり、IMO に出場経験のある数学者の講演もありました。 (表彰式でもその中の1人にメダルをかけてもらいました。)この特別な大会に参加でき、本当に運がいいと今考えて改めて実感しています。
   最後に、諸準備や引率、コンテストの coordination などをして下さった JMO 財団の方々、IMO の OB の方、そして、流暢な日本語で世話して下さったガイドの方をはじめ IMO ドイツ大会を支えて下さったすべての方々に感謝したいと思います。

銅メダリスト  石川 卓
   飛行機も初めて、海外も初めて、IMO も初めてと、初めてのことばかりの旅行でしたが、無事終わった。
   コンテストは、1日目は結構うまくいったのだが、2日目にパニックになり、少し残念だ。 しかし、生まれて初めてメダルを貰ったので、色が何であれ嬉しい。
   コンテスト終了後、ドイツ観光があった。 「気候館」は人が大勢いて暑かったり寒かったりするだけだったが、ブレーメンの音楽隊の像やドイツの古い様式の建物や教会などを見ることができとても楽しかった。 ドイツ北部の島の観光は、最近世界遺産になったという砂浜へ行き、潮の引いた後の浜辺を歩いた。 世界遺産になるだけあって、砂浜の砂も綺麗で良かった。
   観光から帰った後の午後はスポーツをしたが、主にバドミントンをし、テニスやバレーボールなどもした。 他の国の人達ともスポーツができた。英語はあまり上手くはないが、こちらが何としてでも伝えようとし相手も理解しようとするとどうにかなるものである。
   今年は IMO 50周年記念の年であったので、いろいろな分野の数学者の話も聞くことができた。 英語が聞き取れず、その内容も難しかったので殆ど理解できなかったが、グラフの理論などには興味を持った。
   最初で最後の数学オリンピックであったが、予選・本選・春合宿・IMOと全て1回ずつ経験することができ、とても良い刺激を受けたと思う。 今後IMOに出ることもないが、IMOやJMOの問題に挑戦したい。

◆団長達の声

団長  伊藤 雄二
   IMO に役員として参加するのは、日本で開催されたときを含めて7回目であるが、 今回最も印象が深いのは、日本チームの大活躍であった。 参加104ヶ国中の第2位という素晴らしい成績で、 これまで数十点の差をつけらていた1位の中国との差もわずか9点という信じられないような成績であった。
   閉会式のときに、司会をされたドイツ数学会代表の G.M.Ziegler 教授が強調されていたが、 今回の問題は全般的に難しく、特に問題6は、IMO の歴史上で2番目に最も点の取り難い問題であったが、 その問題に正解を与えた3人のうちの1人が副島君であり、副島君ばかりでなく皆よく頑張って、 この問題に関して常連の強国の生徒達が殆ど0点であったのに、日本チームの合計点が19点でダントツであった。 この問題の成績と、次に難易度の高かった問題3でも日本が好成績を収めたことが総合計点212点になり、 例年上位にいたロシア、アメリカ、韓国等を追い越すことが出来た要因であった。 6人中5人が金メダルを獲得し、今回初参加の石川君も、もうあと1点で銀メダルに届くという好成績であった。 選手諸君の大健闘を、心から祝福したい。
   1959年にルーマニアで第1回の IMO 大会が開催されてから、 今年は50回の大会ということで、それを記念して、過去の IMO に参加し好成績を挙げ、 後に数学者として立派な業績をあげた Fields 受賞者3人( T.Gowers、J-C.Yoccoz、T.Tao )を含む6人の数学者を招待して、 それぞれの人に IMO における経験とその後の数学の研究との関連や、 数学が今後の社会の発展にいかに貢献できるか等について意見を述べてもらい、 更に、今回の IMO 参加選手と話をする機会を設けるなど、非常に興味深く価値の高いプログラムが組まれたことも特筆に値する。

副団長  淺井 康明
   今回の第50回IMO大会は、ドイツのブレーメン州で開催されました。 ブレーメンは、ドイツ連邦共和国北部のヴェーザー川の河畔にある都市で、 「マルクト広場の市庁舎とローラント像」は世界遺産に登録されています。
   私にとっては、初めての IMO 大会への参加、ドイツへの訪問ということで楽しみにしていた大会でもありました。 期待した通り、ブレーメンは青い空と緑豊かな広い大地の中の素敵な都市でした。
   大会は、ヤコーブ大学の学生寮を宿舎として、Pier 2ホールで開会式、ブレーメン大学でコンテストが行われました。 また、今回はIMO大会が50回目ということで、ブレーメンミュージカルシアターで記念式典が行われ、 著名な数学者6名の講演を聴くことができ、この大会に参加出来たことをとても幸せに感じています。
   そして、何よりも感動したことは、日本の代表として参加した6名の選手が素晴らしい成績を上げ、 日本としても過去最高の成績となったことです。この成果は、選手一人一人の力によって達成されたものではありますが、 数学オリンピック財団がこれまでやってきたことが間違いないものであるという確信を抱くことができました。
   IMO 大会は、多くの国々の生徒達が交流を深める場でもあることを実感できたことも大きな収穫でした。 特に、表彰式における韓国と北朝鮮の生徒達が互いの健闘を讃え合う姿には、涙さえ誘うものがありました。
   今後とも数学オリンピック財団の一員として、IMO 大会、JMO ・ JJMO 大会の成功のために全力を注ぎたいと改めて思っています。

オブザーバーA  森田 康夫
   私は、来年のIMO大会に団長として行く予定になっていますので、今回は下見を兼ねて参加させて頂きました。
   今回は、第50回という記念すべき大会でありましたが、 日本は、国別でも参加選手別でも素晴らしい成績を取り、韓国チームより「おめでとう」と言われると共に、 「来年度以降は今回に負けない成績を取る責任が生じる」とのアドバイスを受けました。
   今回の好成績は、昨年度も参加した選手が多かった他、チューターの方の努力・合宿の改善なども効果を上げたようです。 また、ライバルの韓国チームが1年生主体であったこと等も関係したようです。
   しかし、何よりも参加した選手が頑張ったことが最も大きかったと思います。 食事のときに隣に座った米国チームの人からは、米国の高校の教育内容と数学オリンピックの出題傾向の違いについて聞きましたが、 この点では日本も同様で、日本の高等学校では初等幾何は余り教えられていません。 また、整数については、日本では教えられない数論的関数などに関する問題も多く出題されます。 このため、その差を埋める資料を作ることが必要ではないかと思いました。
   私は、数学の入学試験と長く関わり、問題作成などでもそれなりの能力を持っていると思っていますが、 大会で出題する問題候補のリストを貰って考えましたが、解答にかなり苦労しました。 来年度までに幾何の問題を解く訓練などして、選手の得点を決めるコーディネーションで、 十分に説明する能力をつけねばならないと思いました。

オブザーバーA  大橋 祐太
   今回のIMOに、オブザーバーAという形で再びかかわることが出来て、とても嬉しかったです。
   ドイツは思ったよりも涼しく、また、場所によっては風が強かったですが、 日本とは全く異なる景色でとても楽しめました。特に夕焼けの海が綺麗でした。
   コンテストの問題は例年より少し簡単かなとも思いましたが、 6番はやはり難しくて正解者は少なく、全体の点数はいつも通りの分布になったと思います。
   日本選手は、難しい6番で満点をとった副島君をはじめ大奮闘し、6番だけでは世界一の得点を収めました。
   その他の問題もとても出来が良く、国別順位では、過去最高の2位となり、 金メダル5個、銅メダル1個という素晴らしい成績をあげました。
   採点については、採点基準が厳格に決められていたのですが、 そんな中でも細かな部分点を獲得することが出来て良かったです。
   採点終了後は生徒と一緒に観光を楽しみました。 今年は、ガイドさんの日本語が上手で、日本トークで盛り上がりました。 エヴァンゲリオンの曲を知っていたので一緒に歌いました。 このアニメに出てくるキャラクターのアスカの出身地がドイツなので、ガイドさんとアスカトークで盛り上がりました。 また、他の参加者との交流も積極的に行いました。
   最後に、今回のIMOを支えて下さった田﨑さん、淺井さん、森田先生、伊藤先生、その他現地の人々や財団の皆様、どうもありがとうございました。

オブザーバーA  伊藤 佑樹
   今回の IMO は、observerA という立場で参加させて頂きました。 僕達の主な仕事は、Jury meeting に参加すること(見ているだけですが…)と、日本選手の答案の採点を行い、 開催国側から承認をもらうことでした。Jury meeting では、問題の決まる様子を見ることができ、貴重な体験でした。 また、コーディネーションは選手の出来の良かったこともあり、すんなりと進行したように感じました。
   しかし、解答に近づくステップが答案に見られる場合でも、採点基準に従う必要がある以上、 点が得られない場合があり、このことは少し残念に感じました。
   この点では、悔しさは個人的にはあるのですが、今回の日本選手の残した成績には心から拍手を送りたいと思います。 問題との相性はわりと良いかなとは思ったのですが、 国別順位が過去最高の2位ということで驚くとともに、選手の皆のすごさを感じました。
   また、今年の6番は、IMO らしい面白い主張の問題だったのですが、相当難しく、 史上2番目に完答者の少ない(3人)問題となりました。 そんな中で、6番を完答し満点を獲得した副島君は凄いと思いました。
   今回滞在した Bremerharven と Bremen は、どちらものどかな街で大変過ごしやすかったです。 港町の Bremerharven に沈む夕陽は何とも言えない美しさで、Bremen の街並みには歴史を感じました。    最終日の夜には、Farewell Party が盛大に行われ各国の選手と音楽を背に大いに楽しみました。 IMO という大きな祭りの終わりにふさわしいものだったのではないかと思っています。 そして、夜が更けていくとともに静かになっていく会場で感じる寂しさは選手時代と変わらず、何とも言い難いものでした。 今回で50回目ということでしたが、これからも活気に満ちた素晴らしい大会であってほしいと思います。    最後になりましたが、この素晴らしい大会の成功に尽力してくださったスタッフの方々、 一緒に同行させて頂いた日本選手団の皆さん、財団の方々、そして IMO という場に感謝したいと思います。

オブザーバーA  渡部 正樹
   今回の IMO に、僕は団長団側として参加し、 会議に参加したり問題の翻訳や採点、コーディネーションなどの仕事を行いました。
   メインの仕事であったコーディネーションについて、 簡単な問題のコーディネーションは事前に思っていた以上にすんなりと終わりましたが、 難しい問題などで部分点を交渉することになった場合などは、予想通り大変な作業でした。    試験では、今回の日本選手の成績は非常に良く、 金5個、銅1個で、合計点では中国に次いで2位という驚くべき結果を得ました。
   今回、主な会場となった大学は緑が多く、のどかな雰囲気でしたが、 一方、夜にはディスコイベントが行われるなどのこともあり、普段の生活とは全く離れた雰囲気の中でIMOを楽しむことができました。 団長団が最初に宿泊したブレーマーハーフェンや、何度か訪れたブレーメンの市街地も、非常に落ち着いた雰囲気を感じることができました。
   今回の IMO に同行して下さった伊藤先生、森田先生、生徒の引率として同行した淺井先生、田﨑さん、 今回のIMOの運営に携わった役員の皆さん、ありがとうございました。
   選手の皆さんも含め、お疲れ様でした。

オブザーバーB  田﨑 慶子
   第50回 IMO ドイツ大会に役員として参加させていただき、 結果として過去最高の成績に遭遇させていただけたことに、感謝の念でいっぱいです。
   巷では、「このメンバーだったら過去最高の結果がでるだろう」との前評判もありましたが、 実際の結果として過去最高を手に収められたのは、6人の代表選手ひとりひとりが真摯に数学に向き合い、 自己の課題・壁を乗り越えた結果ではないでしょうか。
   そして、この選手たちを陰で支え応援してくれたのは、IMO 経験者の OB ・ OG でした。 例年行われている通信添削はもちろんのこと、今年はじめて出発直前に行われた一泊二日の直前学習会での指導もありました。 この学習会のために、OB ・ OG 達が自分の勉強や研究で忙しいのにもかかわらず、 選手ひとりひとりの答案の癖や過去の IMO を色々な角度から細かく分析し、素晴らしい資料を作成してくれました。 この資料を中心に行われた直前学習会がこのような結果に結びついたと確信し、IMO が50回の歴史を刻んだ今、 IMO も「先輩から後輩へ」という流れができたことを喜ばしく感じております。
   また、伊藤団長・淺井副団長をはじめ、「 I don't think so ! 」 と一歩も引かない強気の気合いで、 採点・コーディネーションに臨んでくれたオブザーバーAのメンバーには、大変お世話になり感謝しております。
   ドイツ滞在中は、オブザーバー B だけが、大学宿舎ではなく VEGESACK という街のホテルでの生活で、 毎日大学のキャンパスに通うというスタイルの生活でした。 最初はかなり心細く感じましたが、逆に、他国のオブザーバー B の方々や IMO オフィスの方々と自然に交流するきっかけとなりました。
   また、世界的数学者を招いての50周年記念行事にも参加でき、良い経験をさせていただきました。
   「一番の思い出は?」と聞かれたら、答えは「試験終了直後の選手それぞれの緊張から解放された表情」です。 これからもこの表情を励みとして、財団事務局の仕事に邁進してまいります。



◆国際順位
      (参加国104カ国、565名[男子506名、女子59名])
順位
中国
日本
ロシア
韓国
北朝鮮
アメリカ
タイ
トルコ
ドイツ
10 ベラルーシ
11 イタリア、台湾
13 ルーマニア
14 ウクライナ
15 イラン、ベトナム

開催国の Web Site は、下記の通りです。
http://www.imo2009.de/imo/index.php


◆参加者の写真

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出発前日、ホテルのロビーで 開会式の壇上で バス観光から戻り本部前で
バーベキューを楽しむ。
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全員メダリスト、左から
副島君、石川君、今村君、
岸川君、滝聞君、保坂君
文部科学省表敬訪問
山内副大臣とともに
内閣府特命担当大臣
(科学技術政策・食品安全)
表敬訪問時に大臣を囲んで